蕎麦と言えば日本人には切っても切れない関係ですよね。駅の近くには必ずと言っていいほどそば屋さんがあります。価格帯も数百円のリーズナブルなものから数千円する高いものまであります。その他にも年越しそばなどの行事で食べたり、日本各地で「そば祭り」も開催されたりと非常に蕎麦への愛着がある日本。
そんな馴染みのある蕎麦ですが、蕎麦の歴史についてはご存知でしょうか?また蕎麦の栄養に関しても知っている方は意外と少ないのではないでしょうか。
そこで今回は蕎麦について調べてみました。
蕎麦の歴史 ─「蕎麦」から「そば」へ ─
蕎麦の起源はかなり古く、縄文時代にはすでに蕎麦を焼きもち、雑炊、すいとんなどの形で食べられていました。現在の「そばがき」や「そばもち」などの原型です。
では、蕎麦が現在のように麺状(いわゆるそば切り)となったのはいつ頃なのでしょうか?
文献による最古の記述とされているのは、天正2年(1574年)に長野県木曽郡大桑村須原にある、「定勝寺」の古文書に記された「ソハキリ(そば切り)」という記事が1992年に発見され、これがそば切りの初見とされています。
それ以来、そばは栄養的にもタンパク質の含量が多く、かつ野趣に富み独特の風味を有する点が日本人の嗜好に適し、いわば庶民の食べ物として老若男女、貴賓を問わず気軽に食べられる料理として発展し、親しまれていきました。
そばは地方から江戸にも伝わり、さらに発展していったと考えられています。その理由の一つは、当時江戸の町は建設途上で、多数の労働者・職人衆が全国から集まっており、人々の間では安価ですぐに食べられるとして急速に普及し、江戸庶民の嗜好にかなった味へと進化していきました。
蕎麦粉に”つなぎ”としての小麦粉を混ぜる製法が確立し、蕎麦粉のみのそばは「十割」(とわり)、小麦粉2に対して蕎麦粉8の比率のそばは「二八」(にはち)、同様に、「三七」「半々」なども誕生しました。
また、「そば屋」だけでなく、店も持たずに屋台で営業するスタイルも普及し、江戸時代中期には晦日に食べる「晦日そば」や、そばのように長く細く生きられるように、切れやすいので一年のいやなことは切り捨てたいとの願いから、大みそかに食べる「年越しそば」などの習慣が庶民に定着していきました。
引っ越しの挨拶に「そばに参りました」の意味を込めてそばを贈る習慣も江戸時代に起きたとされています。
このように日本人の習慣と文化に深く根付いたそばは、日本各地でも様々に変化し、多種多様なそばが誕生しました。
布海苔(ふのり)を”つなぎ”に使い、ツルっとしたのど越しと腰の強さが特徴の「へきそば」や、蕎麦殻を挽き込み”つなぎ”に山芋などを使う香りが豊かな「田舎そば」など、その地域の風土により、現在まで多様な美味しいそばが食べられるようになっています。