「酒屋に居続けて飲む」から「居酒」
「居酒屋」というのは江戸時代に誕生したと言われます。地方から江戸に出稼ぎに来ていた職人達が、酒屋で買った酒をその場で飲みはじめ、それができるという意味で店先に「居酒致し候」と貼紙がされたことから、いつしか「居酒屋」と呼ばれるようになったとされています。現代の居酒屋とは異なり、最初は料理などは全くなく「酒を売っている場所でそのまま飲む」という、スタンドバーのようなシステムだったのです。現在でもこのサービスを行う酒屋は存在し、「角打ち」「もっきり」などと呼ばれます。法律上の規制で酒屋では座席やサービスを提供することができないため、逆に「安価で純粋に酒を楽しめる」としてファンも多いようです。
江戸っ子の居酒屋ライフ!
居酒屋の元祖ははっきりしていませんが、江戸時代初期の元禄期(1688?1704年)頃だと言われています。明暦期(1655~1657)には、明暦の火事からの復興でにぎわう江戸の町に「煮売屋」とよばれる酒も提供する食堂が登場します。また、寛政期(1789~1801年)頃から、蠅の侵入を防ぐために入口に縄のれんをかけるスタイルが定着し、気軽な一杯飲み屋のことは「縄のれん」と呼ばれるようになりました。時代ははっきりしませんが、入口に赤い提灯を掲げるのが流行したのも江戸時代後期のことだったようです。
もう一つ、江戸の町は男性の一人住まいが多かったのも、この煮売屋や縄のれんが人気を集めた理由です。天保期(1830~1844)の江戸の人口の割合は男性64.8%女性35.2%というデータも残っています。仕事を終えた職人や商人が一杯を楽しみ、夕飯も済ませられるという便利なスタイルは、現在の東京の居酒屋にも受け継がれています。
居酒屋のルーツといわれる酒屋は、今も営業中
東京都千代田区に、創業が慶長元年(1596)という東京で最古の酒屋「豊島屋」があります。江戸城の拡張工事のにぎわいに目を付けた初代の十右衛門は、江戸の中心部である神田鎌倉河岸に酒屋兼飲み屋を開きました。「下り酒」とよばれ珍重された灘の銘酒が安く飲めるだけでなく、豆腐を焼いて味噌を塗った「豆腐田楽」という酒のつまみを出したのが江戸市民の間でたいへんな評判となりました。その繁盛ぶりは「江戸名所図会」にも描かれています。このことから豊島屋を「居酒屋のルーツ」とする説もあります。
豊島屋は現在も酒屋として営業を続けていますが、店内での飲酒はできません。そのかわり…といっては何ですが、東村山市にある同社の酒蔵「豊島屋酒造」では、?蔵見学や試飲をすることもできます(要予約)。不定期ですが全国新酒鑑評会出品酒等の市販されないお酒が楽しめるイベントも行っているようですので、チェックしてみてはいかがでしょうか。